大判例

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東京高等裁判所 昭和38年(う)753号 判決

控訴人 原審検察官 中本広三郎

被告人 箭内利市

検察官 中村正夫

主文

原判決を破棄する。

被告人を罰金一、〇〇〇円に処する。

右罰金を完納することができないときは金二〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

理由

本件控訴の趣意は、土浦区検察庁検察官事務取扱検察官検事中本広三郎の提出にかかる控訴趣意書に記載されているとおりであるから、これを引用し、これに対し当裁判所は事実の取調を行つたうえ、次のとおり判断する。

控訴趣意について(なお、検察官は、当審公判において、控訴趣意第三は、事実誤認を主張する趣旨ではなく、犯意の成立には、違法性の認識を必要としないとの情状として記載したものであるとの釈明をした。)

所論は、原判決は、「被告人は、昭和三七年九月一三日午後四時四〇分頃福島県双葉郡富岡町大字本岡字前谷地内道路において、運転の妨げとなるようなサンダルをはいて普通自動車を運転したものである。」との本件公訴事実どおりの事実を認めながら、「被告人は、福島県において、サンダルをはいて自動車等を運転することが、同県道路交通規則により違法とされている点についての認識を有しなかつたから、被告人には、故意がなかつたものという外はない」として、無罪の言渡をしているが、同判決には刑法第三八条第三項の解釈適用の誤りがあり、その誤りが判決に影響を及ぼすことが明らかであるから破棄を免れないという旨の主張に帰着する。

そこで、審按するに、原判決が、被告人には故意がないとして無罪を言い渡した理由の要旨は論旨第一に、摘示されているとおりである。そして違法の認識が犯意成立の要件でないことについては、従来大審院の判例としたところであつたが、新憲法施行後においても最高裁判所は、刑法第三八条第三項の解釈として有毒飲食物等取締令違反被告事件につき、犯罪の構成に必要な事実の認識に欠けるところがなければ、その事実が法律上禁ぜられていることを知らなかつたとしても、犯意の成立を妨げるものではない旨の説示をして、従前の判例を維持し(昭和二三年(れ)第二〇三号、同年七月一四日大法廷判決、刑集二巻八号八八九頁参照)、その後も同裁判所は、「自然犯たると法定犯たるとを問わず、犯意の成立には、違法の認識を必要としない。」とし(昭和二四年(れ)第二二七六号同年一一月二八日第三小法廷判決、刑集四巻一二号二四六三頁参照)「犯意があるとするためには、犯罪構成要件に該当する具体的事実を認識すれば足り、その行為の違法を認識することを要しないし、またその違法の認識を欠いたことにつき過失の有無を要しない。」として(昭和二四年(れ)第一六九四号同二六年一一月一五日第一小法廷判決刑集五巻一二号二三五四頁参照)、右大法廷判例の趣旨に従つた判決をしており、当裁判所も、右各判例の見解に従うのが正当であると思料する。本件において、昭和三五年福島県公安委員会第一四号福島県道路交通規則第一一条第三号は、道路交通法第七一条第七号の規定に基づき車輌等の運転者が守らなければならない事項として「運転の妨げとなるような服装をし、又は下駄、スリツパ、サンダルその他これらに類するものをはいて自動車又は原動機付自転車を運転しないこと」と規定しているところ、被告人の原審第一回公判調書中の供述記載、司法警察員作成の犯罪事実現認報告書および被告人の当審公判廷における供述によれば、被告人は、昭和三七年九月一三日午後四時四〇分頃福島県双葉郡富岡町大字本岡字前谷地内道路において、サンダルをはいて普通自動車を運転した事実を認識しており、ただ、右規則第一一条第三号の規定を知らなかつたにすぎないものであることが認められるから、右各判例の趣旨に徴し被告人の本件所為は、刑法第三八条第三項にいわゆる法の不知に該当し、その犯意を欠くものではないといわなければならない。したがつて、これと相反する判断をし、前記のように被告人に対し無罪の言渡をなした原判決には、法令の解釈適用を誤つた違法があり、この違法は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、論旨は理由がある。

よつて、刑事訴訟法第三九七条、第三八〇条により原判決を破棄し、訴訟記録ならびに原裁判所および当裁判所において取り調べた証拠によつて、直ちに判決をすることができるものと認められるので、同法第四〇〇条但書に則り被告事件についてさらに判決をする。

(罪となるべき事実)

被告人は、昭和三七年九月一三日午後四時四〇分頃福島県双葉郡富岡町大字本岡字前谷地内道路において、運転の妨げとなるようなサンダルをはいて普通自動車(茨五-す七三四四)を運転したものである。

〈証拠説明省略〉

(法令の適用)

被告人の本件所為は、道路交通法第七一条第七号、第一二〇条第一項第九号、昭和三五年福島県公安委員会規則第一四号福島県道路交通規則第一一条第三号に該当するので、その金額の範囲内において、被告人を罰金一、〇〇〇円に処し、右罰金不完納の場合における換刑処分につき刑法第一八条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長判事 小林健治 判事 遠藤吉彦 判事 吉川由己夫)

検察官中本広三郎の控訴趣意

第一、先ず本件控訴の理由を述べるに先立ち、原判決が故意がないとして無罪を言い渡した理由の要旨を掲げれば以下のとおりである。

すなわち、

一、被告人の履いていたサンダルは、通常の靴等にくらべて足部より離脱し易く福島県道路交通規則(昭和三五年一二月二〇日同県公安委員会規則第一四号)第一一条第三項にいう「運転の妨げとなるような下駄、スリツパ、サンダルその他これらに類するもの」の「サンダル」に該当することは認められる。

しかし、被告人は、福島県において、右規則によりサンダルを履いて自動車を運転することが禁止されていることに少しも気付かず、当然それが許されているものと誤信して本件犯行に及んだものであることが認められる。

二、かかる場合に被告人に故意の成立を認めることはできない。

けだし

1、刑法第三八条第三項は、すべての場合に、故意の成立に違法性の認識が不要である、と解することはできない。犯罪とされる行為自体が、社会倫理的意味において無色であつて、それが刑罰法規で禁じられたことにより、法規違反としてはじめて反社会性を取得するようなものについては、行為者においてそれが法によつて処罰されるものであることを認識していない以上、故意の成立がないものと解釈せねばならない。

2、これを本件について検討すると、自動車の運転者に禁止されている事項が、その禁止事項の内容性質から見て、運転者一般に対し、それが法によつて禁止されていることを承知してない限り、特に当該禁止事項の行為に出ないことが期待されないような場合には、行為を為すことの認識だけでは故意ありとは言えず、更に法によつて禁止されているとの認識が必要である。

3、サンダルをはいて自動車等を運転することは、サンダルが比較的に足部から離脱し易い構造を有する点から見てやや安定性を欠き、それ自体、決して望ましいこととは言えないが、サンダルにも種々あり、そのうち、それをはくことが著るしく自動車等の運転操作に不適当なものは、一般にその行為に出ないことが期待され、従つて違法性の認識は不要であるが、本件サンダルは、著るしく自動車等の運転操作に不適当なものとも認められないから、違法性の認識が必要である。

4、然るに、本件被告人は、違法性の認識がないから故意がなく、従つて、被告人の行為は、犯罪とならない。

原判決の無罪理由の要旨は概ね以上の如きものである。

第二、しかしながら、まず原判決が刑法第三八条第三項の規定を解釈して、「すべての場合に、故意の成立に違法性の認識が不要であると解することはできない。」とした点は、同法条の解釈適用を誤つたものと断ぜざるを得ない。

故意の成立に、違法性の認識を必要とするか否か、殊に本件の場合の如く、所謂法定犯について、これを必要とするか否かについては学説が岐れていることは周知の通りであるが、しかし最高裁判所は、「故意の成立には、違法の認識は必要としない。」と判示し(昭二三、七、一四、集二巻八号八八九頁)、又「その理は、法定犯についても同様である。」とし(昭二四、一一、二八、集四巻一二号二四六三頁)更に、「その違法の認識を欠いたことについて、過失の有無を問わない。」とまで判示しているのである(昭二六、一一、一五集五巻一二号二三五四頁)。そして、これらの判例の趣旨は、本件にも該当するものであり、又、これらの判例を今改めて変更すべき特段の理由もない。原判決は、最高裁判所の判例を無視し、敢えて、刑法第三八条第三項の解釈適用を誤つたものと断ぜざるを得ない。

第三、次に、原判決が、右法条を解釈適用するに際し、本件サンダルを「著るしく自動車等の運転操作に不適当なものと認められない。」と認定した点は事実の誤認を犯したものである。すなわち、原判決は、一応「サンダルをはいて、自動車等を運転することは、サンダルが比較的足部より離脱し易い構造を有する点からみて他の履物たとえば、靴などをはいて運転する場合にくらべれば、やや安定性を欠き、それ自体望ましいこととは言えない。」と認めながら、「本件サンダルの構造からすれば、本件サンダルが、著しく自動車等の運転操作に不適当なものとも認められない。」と判示しているのである。しかしながら、自動車の運転者は、もともと両手と両足によつて、自動車の運転を操作しているのであつて、原判決が一応認めたように「本件サンダルが足部に固定せず、比較的足部より離脱し易い構造を有する。」ことは、実は、直ちに「著るしく運転操作に不適当なもの」なのである。運転者が、サンダルの離脱に注意を奪われ勝であり、特に急制動を要するときにサンダルの離脱に注意を奪われブレーキペタル又は変速ペタルの操作に過誤を生ずる虞れのあることは、自動車運転者の常識である。しかも急制動の措置は一秒を争いその措置に過誤があれば、直ちに人命にかかわる事故を惹起するのであるから、本件サンダルが「足から離脱し易い構造のもの」である以上、当然「著るしく運転操作に不適当なもの」と断じなければならない。

いわんや自動車の急激なる増加と交通道徳の低調に伴い、悲惨なる交通事故が頻発し、今や、大きな社会不安を醸成している現下の世相にかんがみれば、聊かでも運転の妨げとなるようなサンダルをはいての運転を厳に避くべきことは、法の規定を俟つまでもなく、自動車等を運転する者として当然のことといわねばならない。

以上の理由から原判決は、法令の解釈適用を誤り、且つ事実を誤認したものであり、これ等の誤りが、判決に影響を及ぼすことは明らかであるから、原判決を破棄して、有罪の判決を求めるため控訴に及んだ次第である。

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